天童市の中心に位置する『舞鶴山』、市民憩いの場として、また将棋の街ならではのイベント『人間将棋』の会場として、年間を通して多くのひとが訪れる場所です。
そんな舞鶴山、実は戦国時代の超有名人である、『織田信長』と『明智光秀』に縁がある場所だったってご存じでしたか?
天童は、実は織田信長の子孫が納めた土地で天童織田藩として、、、、
舞鶴山の西側には建勲神社があり、そこには織田信長がまつられています。
そして、もう一方の『明智光秀』はと言うと、舞鶴山の山頂には京都の『愛宕神社』の分社があります。
その愛宕神社とは、実は明智光秀が織田信長を本能寺に討ち入りする際に、愛宕神社で占いのお神籤を引き、凶が三回出たことで、討ち入りを決めたと言われています。
そんな二人に由来を持つ2つの旧跡が、この舞鶴山にはあるのです。
何となくこじつけのようですが、戦国時代の二人の因縁(?)と由来の場所が遠い天童の地の、しかも一つの小さな山に有るというのも、なかなか面白いものです。